つよく、優しく、しなやかに、美しく ・・・「民 際」 と 「共 生・共笑(ともえ)」 な 眼 で 世 界 の 中 の 日 本 に 思 い を は せ て ・・・

01 片道切符で第二の人生  【にしゃんた コラム】

僕は、高校の卒業試験が終わって、一ヶ月も経たんうちに、伊丹空港についてたんです。その時って手には、小さいボストンバッグ一つしか持ってなくって。ほんで、一応お金を持って来ててんけど、両替したらそれが日本円で7万円にしかならへんかったんですね。日本へは片道切符で来たんすから。
今やったら、ね、ちょっと考えたかもしれへんけど……。でもその時、僕にはそうすることしか考えられへんかったんですよ。まー、今から思うと、人に自慢できるっちゅうか、ちょっとした冒険ですわね。
僕なんか、小さい時から外国に憧れてたんですね。これは、もちろん僕だけに限ったことではないです。僕は、幼稚園から高校を出るまで全寮制の男子校で育っているけど、少なくともそこの子ら一人残らず、こう考えていたに違いないですわ。その当時の僕の枕元には、世界地図なんかが張ってあったりしてね。

 ●

こうやって憧れてはいても、実際には、外国とはどんなもんなんか、はっきりしたイメージを持っていたわけではないしね。当然のことながら。そうですね、せいぜいテレビに出てくる、外国の映像いうのかな…が、唯一、僕らの外国との接点やったんですわね。
まあー、まれに、外国に行って帰ってきた人から話を聞くっちゅうぐらいで。そのときなんか、こうー、断片的でようわからへんでも、彼らの話に僕たちは聞き入ってましたわね。ほいと、僕とこの学校には、スポーツ選手として、海外遠征した一人の友達がいたんやけど。いーっつも皆に囲まれて。そうですね、ヒーロー同然っていうのかな、むっちゃ人気者やったんですわ。
スリランカの場合は、外国に出られるのは一握りの人たちだけなんですね。それこそ、一歩も外国に出ずにして、一生を終わる人の方が、大半ですからね。

 ●

この、日本ちゅう国ですね。
当時の僕らにとっては
まあー、大好きな格闘技の国。
で、「おしん」の国。
ほいと、折り紙の国。
僕は、偶然のチャンスを手に入れたわけですね。しかも、なんとスリランカを代表して日本に行けると。これは、全国からの募集やってんけど、一応500人ぐらいから選ばれたんですけれどもね。こうなったら、もうー、僕は世界で一番幸せやろな、とその時はむっちゃ思いましたから。
ほんで、その、ボーイスカウトの活動。通称ジャンボリーって言うんですけどね。その時は2ヶ月間、日本に滞在しただけなんですけど。今でも鮮明に覚えているんですよ、空港に着いた時からのことを。言うても、僕の口ポカンと開きっぱなしやったから。
何が驚きだったかというと、日本の建物であるとか、自動販売機だとかもそうだったんですわ。あんな自販なんか、スリランカの路上に置いてあったらみんな持って帰ってますもん。一家に一台欲しいって考えたことないですか?
だって。だって、ですよ。しゃべるわ、飲み物を出してくれるわーね。すごいじゃないですか。僕なんか自販に「ありがとうございました」って言われて、「どういたしまして」って頭を深々と下げて言ってたからね。絶対人が入っているわと思ってましたからね。
それとまた、日本人の日本語の喋り方ちゅうか。日本の人の仕草なんかもそうですわ。例えばね。こうー、電話をしながら電話機に向かってお辞儀をしている人いるでしょう。僕なんか思わず、覗きに行きましたからね、誰にお辞儀をしているかって。
まあ、こんな具合に目に飛び込んでくるものがほとんど、初めて見るものばかりやったんですね。とにかく当時16歳の僕にはあまりにも衝撃的な体験の連続だったんで。小さい時からずっとボーイスカウトの活動を続けた甲斐があった、僕も日本に来れたんだから、続けていて良かったーって思いましたね。

 ●

帰国してからの僕はまだおもしろかったんですね。日本でもうた一枚のTシャツをボッロ・ボロになるまで毎~日着つづけたりして。おかげで、周りの友達からは「ニホンピッサ(日本かぶれ)」と言われましたからね。でも、もう一度日本へ行きたいってことは、ひと時も僕の頭を離れることはなかったですね。
で、何でそうなったかっていったらね。一応、僕が実際に見た国は日本だけじゃなかったんです。というのは、日本に行く前にインドとタイに寄ってたから。でも僕の中で、タイとインドを見た時は、特にカルチャーショックはなかったんですね。スリランカと変わらへんやんって。でも日本で見たもの、やっぱ全てカルチャーショックだったって言ってもいいぐらい強烈やったんですわ。
でも、そんな言うても、簡単に行けるものじゃないですからね。

 ●

そこで、真っ先に相談したのは、親父だったんです。
どこも一緒や思いますけど、子供にとってはやっぱ、いちばん近くにいる力持ちは親父やないですか。まあ、僕の場合も例外ではなく、何でも叶えてくれる人、って信じてた。それも、面白いですよ。最初なんか「日本に行きたい」と言った時、何の反応もなかったですね。こうー、聞き流されてた感じですわ。典型的っちゅうか、いつも物静かな親父やったですわ。僕が「日本に行きたい」って思いを抱いたまんま、1年が過ぎたある日、親父が「これしか出来ひんけど、行ってきなさい…」と言ってくれたわけです。
そのお金で、僕は片道の切符を買って、2回目の日本にやって来たんですね。まあ、18才で第二の人生のスタートってことですかね。ちょっと早いような気もせいへんでもないけど。
それからというもの、それは、それは、たくさんの人たちに助けてもうたおかげで、いまに至っているんですわ。きっとこれからもスリランカに帰るというような発想は、まず僕の頭には浮かんで来ぇへんやろうなぁ。もちろん、いままで僕を助けてくれたみなさんに感謝してるし。
まあ、誰よりも、家を担保にして、僕が日本に来るのにお金を工面してくれた、力持ちの親父には頭上がらん気持ちで一杯ですね。今でこそですよ、親父に感謝しているのは。当時は、当たり前と思ってたしね。これは、僕の場合の来日ストーリーですけど、日本に来ている人ちゅうのは大体みんな面白いストーリーを持っている人が多いですわ。だまされたー思って、ほんま、いっぺん聞いてみて下さいよ。ほんまにだまされたりしてね(笑)。

 ●

最近親父に言われたんですけどね。
「出稼ぎに2~3年行った人でも、国に立派な家を建てたのに。お前が行って14年経ったけど、何も建たへんやん。日本で何してんねん」
今の僕には返す言葉がないですわ。早よ、親父に孝行できるように立派な人間(?)になれたらいいなと、心では思うてんねんけど、なかなかね・・・・・・

コメントする

お仕事のご依頼などは...

マネージャー

下中(しもなか)迄

■E-mail■

info@nishan.jp

■電 話■

06-6886-1175

■携帯電話■

090-6670‐1020

■F A X■

06-6886-1176

お問合せフォームはこちら

2011年12月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31