03 ジャパニーズ ドリーム 【にしゃんた コラム】
僕はどうしても日本には来たかったんですね。せやからって特に何かを実現したいわけでもなく、ただただスリランカの同年代の子らと違うことをしてみたかったような気する。まあ、しいて言うならば、将来スリランカに帰ってええ仕事に就けたらなという思いは少しあったやろうな…
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日本に来れたのは良かってんけどね… 日本語学校に通うた頃の僕を一番悩ませたのは、お金やったんですよ。スリランカにいた頃、断片的な話の中に、日本には「アルバイト」という便利な制度(?)があるんやでって聞いたことあったんですね。これを上手い具合に使うて勉強かってやっていけるってね。それは1回聞いただけやってんけどね、ものすごう強烈に頭に残ってて。だって、こんなもんスリランカにないっすからね。働くなら働く、勉強するなら勉強するってはっきり分かれてますからね。さすが日本や、って思いましたね。
言うても、日本に来るとき大したお金持って来れるわけでもないし、ましてや仕送りなんかもあてにできひんかったっすからね。その状態で、日本で生活しようと考えてましたからね。それはそれは、僕が聞き落とすわけないですわね。ちゅうか、こんなんを命綱にして考えるほか選択肢ないっすからね。
でもね、ええアルバイトの話聞いたのは良かってんけどね… 来てすぐに住んだのは坂本ですからね。そんなもん無いわけですよ、そこには。あんのは日吉大社と静かな民家ばっかし。アルバイトの話をしてくれた人に嘘をつかれた思いましたね。そのままやったらスリランカ帰らないかんようになると思うと、悔しかったんですよ。ほんでいきなり不安になって…… 気付いたらワンワン泣いててね。僕は泣くような子やなかったんですけどね。
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でもやっぱ希望は捨てられへんじゃないですか。世の中はやっぱうまいこと出来てるんですよ。思い続けたら叶えられるようになってるんですね。坂本にはバイトあらへんかったんですけど、チャリンコで通える範囲でバイト見つかったんすよ。雄琴いうとこです。なんも迷うことないやないすか。面接行きましてね。「たくさん働きたい」言うと、そこの旅館の社長はすごい寛大な方で。笑顔で社員寮に入ったらって薦めてくれはってね。
仕事は、布団敷きに布団上げ、ほしてお風呂の掃除ですわ。まあ、宴会場のお膳を並べたり、その後の片付けなんかもしてんけどね……。まあ、バイト代安かってんけど、長い時間働けるし、住むとこの心配もないから、それはそれは二つ返事で「OK」って言うに決まっているじゃないですか。
ほして、あくる日から早速、それまで午前中やった日本語学校を午後に変えてもうてね。その日から、本格的にアルバイトと勉強にがんばる日々が始まるわけですわ。
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日課は、朝7時に起きて社員寮を出て、道路を越えて(161号線ちゅうんですけどね)、旅館に行って。
まず腹ごしらえ。朝食とるわけですね。
それから、お客さんが使うた後のシーツをはがして洗濯に出して、布団を押入れに納める。
それを終えると、大浴場の掃除が待ってるわけです。暑いやないですか、お風呂の中は。パンツ1ちょになって、ごしごしタイルを洗うわけですよ。それが済むと、タイムカードを押して、昼飯とって、大急ぎで学校に行くわけですわ。
学校から帰ってくる時は、寮に寄らずに、旅館に直行。
まず布団引きですね。早いですよ、僕布団引きは。熟練したちゅうのかな。宴会場の後片付けの仕事も待っているわけですね。
結局、仕事終わって寮に帰れるのは夜の11時ぐらいだったかな。今から考えるとよう働いたな思いますわ。
でも不思議と、ぜんぜん疲れを感じひんかったすね。逆に、お金が貯まって、生活に余裕ができてくることが嬉しかったんですよ。だって、自分で稼いだお金で、勉強が出来てね。こう何ともいえない充実感で一杯なわけですよ。
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まあ、そんな日々でも、幸せ一杯やった僕やけど、怖いことがひとつあってね。それ、警察やったんですわ!
その当時、就学生ちゅうビザをもっててね。それやと、確か1日3時間くらいまでしか働かれへんかったんですよ。でも、僕は軽くその倍は働いてましたからね。今やから言える話かもしれんけどね。そんな状態やったからね、警察に捕まるんちゃうかって、いっつもビクビクしてたんですよ。
ほれと、旅館ちゅうとこには、定期的にパトカーって来るんですよ。見回りもかねてね。そのたんびに、今度こそ間違いなく僕を捕まえに来たんちゃうかって、震えててね。そんな状態やから、それはそれは目立たんように生活をしてましたよ。表に出るのは、学校に行く時だけ。あとは部屋に閉じこもってるわけですわ。
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その僕の唯一の連れは、旅館からのお下がりの古いテレビやったんっすよ。 4畳半の部屋でね、いっつでも手が届く距離にあるわけですよテレビが。朝起きて真っ先にすることは、テレビのスイッチを入れることでね。ほして、バイト終わって旅館から部屋に戻ってすぐにすることも、やっぱテレビをつけることなわけですわ。ほして、毎日のようにつけっ放しで寝てしもうてましたね。社員寮の横の161号線に、大型トラックぎょうさん走っててね。テレビの音がよう聞こえへん時とか、日本語がよう分からへん時かって、一人で笑うてましたね。とにかく時間あったら、いっつもテレビの前におりましたね。
まあ、言うまでもないですわ、テレビには老若男女問わず、いろんな人が映ってるやないですか。そん中に、すんごい気になる存在いたんですね。それが今で言う「ガイタレ」ですわ。外国人タレントですね。ウィッキーさんとかね。流暢な日本語を喋ったり、みんなを楽しましたり、場を和ましたり。その時の僕は、あこがれててね、彼らに。ほして見ながらいっつも思ったんですよ。
「彼らこそジャパニーズドリームを手に入れた人なんや」
ってね。
だって、僕は長い時間バイトして、いつ警察に連れて行かれんかビクビクしてて、彼らとは180度違う人生を送ってたしね。ガイタレの場合は、こそこそ隠れる必要なんかないやないですか。堂々とテレビに出てて、日本中で有名人になってはるでしょ。「ああなれたら、ええなぁ」って、いつの間にか思うようになってたんですよ。
旅館の近くに週末にやってくる移動古本屋があってね、そこでガイタレの方が書かはった本を探して買うてたんですよ。ほしてね、書いた人のプロフィールを見ては、思うたんですね。その人は○○年でこの本を書いたんやし、僕はこれを3年で読めるようにせなあかんってね。なんちゅうのかな、変なライバル意識のようなものでね。同じ外国人として、目標でもあったんやけどね。
留学生に限らず、日本に来ている人いうのは当たり前やけど、いろんな夢を持ってるわけですわ。例えば、自分の国へ戻って大学で教鞭をとるとか、國際関係機関で働くとか、会社経営するとか、まあ、いろいろあるわけですよ。やけど、当時寂しい毎日送っていた僕にとっては、そんなんより、やっぱテレビに出て来るガイタレの存在のほうが強烈やったんですよ。日本で成功している思うたし、ものすごう僕なんかそれで勇気づけられましたからね。「僕もいつか皆に愛される人になるでー!」って強う思うたんですね。まあ、これこそが、僕にとっての、他ならぬ最初の「ジャパニーズドリーム」だったってわけですわ。
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あれから15年。僕は今、経済学の博士号をとるのに論文をまとめているんですけどね。早いうちにちゃんとした日本の大学の教授になって教えたいんです。この社会で役に立つ人にならないかん思うてるわけですね。そんなこんなんで、今は、頭ん中論文のことで一杯す、実際にはかどっているかどうか別として。
やからって、やっぱ最初の夢であった、テレビに出て日本中の皆さんに愛される存在になりたいってことを、決して忘れているわけではないんです。次に皆さんに夢を与えるのは、僕の番や思うてんのは僕だけですかね。(照笑)
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