19 幻の修士論文 【にしゃんた こらむ】
大学を卒業後、大学院に進んで勉強を続けたいなぁと思いましてね。そん時に頭をよぎったのが、「自分は、母国のスリランカについて知らんことが多い」ということなんです。
ほんで、南アジア研究の第一人者がいる研究室を選んだんですわ。
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中村先生と鶴見先生という二人が、僕の指導教員になってくれました。二人は「当事者性学問」っちゅうことを唱えてましてね。日常に経験している疑問を、教室の外に出て理論的に探求する。とまあ、こういうことですわ。
ここのゼミでは、研究した事を皆が順番に発表する、ちゅう事をやってましてね。僕も研究テーマを探すのに、必死こいてました。
思いついたんが、「僕は学部で『日本的経営』を勉強した。ほんで、スリランカ生まれや。よっしゃ! スリランカで日本的経営が通じんのかどうか、調べたろ!!」ちゅうことなんですわ。
素晴らしい思いつきに、我ながら打ち震えたんやけどね。スリランカにはほとんど帰ってへんし、スリランカの日系企業なんか、全然知らん。
そんなんで、調べようもないですわ。
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発表と質疑応答に与えられた1時間30分。これが余ってしゃーない。内容も本からパクっただけなんで、自分でもイマイチわかってへん。シドロモドロですわ。
発表を聞いている側も、えらい迷惑そう。サービス精神の塊である僕には、それが一番耐えられへん。そこで、余った時間に全然別の話をしたんですわ。
それは、「風俗の話」やったんです。学生はやっぱり、この手の話が好きですね。「スリランカにおける日系企業の話」なんかとは、まるで反応が違う。
その日の夜、単純な僕は一大決心をしました。修士論文は、「性風俗に反映される日本の国際化」で行こう!と。前日まで日本的経営がどうとか語っていた僕が、一夜にして風俗研究者になったわけですわ。
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修士論文の研究テーマ発表会。そこには、大学の研究者がたくさん集って来てね。緊迫した空気が流れる中、僕の発表する順番がやってきました。
えー私は、『性風俗に反映される日本の国際化』というテーマで、日本の国際化が社会の細部にまで行き渡っているかどうかを、性風俗産業を通して、見ていきたいと思います。
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私の問題意識は次のようなものです。日本に来た当初、滋賀県の雄琴で下宿していた私は、約2年間に渡って、旅館で布団敷き、布団上げ、風呂掃除の仕事をしていました。雄琴という街には様々な顔がありますが、ご存知の通り、風俗産業が盛んな街という一面を持っています。東京の吉原、岐阜の金津園に並ぶ三大風俗街として有名です。私は直接風俗店で働いていたわけではないですが、働いていた旅館の宿泊客は、どういうわけか99%近くが男性でした。そして、夜になるとその大半が、何処かへ消えていくわけです。要するに私は、間接的ではあるものの、日本の性風俗産業を縁の下で支えていたことになります。
そして今、私は『京都府名誉友好大使』という肩書きを持っています。主に期待されていることは、地域の国際化の推進です。地域がどこまで国際化されたのだろうか?私は常に、そのことを考えています。
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何年か前、スリランカから来た友人に京都を案内しました。途中、目の前の派手なネオンを見つけた友人が、それが何であるか尋ねてきました。そこは風俗の店でした。
話は若干脱線しますが、スリランカは宗教心の強い国です。酒やギャンブルはもちろん、性の売買に対しても非常に厳しい。それに対し、日本ではバラエティー豊かな性の売買が、堂々と営まれている。スリランカの友人にとって大きなカルチャーショックであることは、同じ国で生まれた人間としてよく理解できます。そして、個人的に前々から気になっていたので、これを機にと思い、同行しました。
しかし、いざ店に入ろうとすると、門前払いを受けました。理由は簡単です。「外人はあかん」。国際化が唱えられる昨今の世の中で、少なくとも大声で言われることはない言葉が、ここにはありました。私はその時、重大な使命を感じたのです。それは、何故「外人はあかん」のか、その理由を突き止めることです。
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調査を進めると、「外人は言葉がわからない」「店の方針」「エイズ」この3点が主たる理由であることが明らかになりました。しかし、ここには見逃すことの出来ない矛盾が含まれています。
言葉がわからないという点ですが、私は日本語能力試験の一級を持っておりますし、数々の日本語弁論大会で優勝しています。また、スリランカの友人は、童貞であるにも関わらずエイズの可能性を疑われました。エイズについて正しい知識も無ければ、国際化も進んでいない。地域社会の抱える問題が、この矛盾の根底にあると思われます。
日本の社会の細部にまで国際化は行き渡っているのか。性風俗産業は、その最適なバロメーターであると考えます。私の修士論文のテーマとして、この研究を進めていきたいと思います。コメントをお願いします。
発表が終わった。お店で入店拒否をくらった悔しさを、一気に打ち晴らした。清々しい達成感を感じつつ、顔を上げたんです。
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誰からも、何の反応もない。
発表会場を、完全な沈黙が支配していました。
「やってもうた・・・」
その後、全員の研究テーマに関して、激しい質疑応答が行われました。僕一人を除いて。
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終わってから、打ち上げが行われました。酒の席で本音を出すのが、日本社会の常識ですわ。
「ここは経済学部やぞ。何を発表する気や!」って絶縁宣告するK先生。日本的経営について教えたるって言うてくれてたD先生は、「裏切り者!」っちゅうて泣きはじめる始末。
「一緒に日本的経営について勉強するんやなかったんか? お前、お前・・」
もう、えらい騒ぎですわ。
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事の重大さを悟った中村先生は、翌日、僕を自宅に呼んで、言わはりました。
「にしゃんた君。今回の修士論文は、日本的経営で書きましょうか?その論文が認められたら、次に性風俗と国際化の話を書いたらどうでしょう?」「わかりました」
研究費を使って、関西各地の風俗店でフィールドワークを行うという計画は、もろくも崩れ去りました。
幻の修士論文は、いまでも大学院生たちの間で、語り継がれているそうです。
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