22 僕、大学教員になっちゃった 【にしゃんた こらむ】
2002年4月から、僕は新しい生活を始めることになりました。ここ数年前から、目標にしていたことが実現したんです。
日本の大学で専任教員になること。もちろん、簡単に実現できる目標ではない。大学院に進んで、博士論文を書いて、専門分野を極めんとあかん。
僕がたどった大学専任教員への道。なかなか、波乱万丈でしたわ。
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最近、不況の影響で、学部を卒業しても希望する職場に就職できず、大学院への進学を選ぶ学生が増えているんです。リストラされたことがきっかけで、大学院にやってくる人もいる。
実はそういう僕も、はじめは大学院に行くなんて考えてなかったんですわ。本当は、卒業したらすぐに、就職したかったんです。
いくつかの有名な国際機関にあたってみたんやけど、どこも「国際」を売りにしているわりに「国籍条項」を設けとるんですわ。結局希望するところでは働けそうになかった。
でも当時は、せっかく日本のことがだんだんわかってきたころやったし、スリランカに帰るのは嫌やったんです。そこで、日本に残る一番手っ取り早い手段として「大学院」っちゅう道を選んだわけですわ。
消去法やから自慢できへんけどね。仕方ない。
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それがなんで「大学の教員」になりたい、と思うようになったか。それは、足を怪我して運動が出来なくなり、それやったら頭で勝負したい! って考えたことが、一番大きい理由ですね。
そんな時に、たまたま、ある大学で国際理解を教える先生が急に辞めはったんですわ。その後釜として、非常勤講師をさせてもらえることになったんです。
でも、非常勤はしんどい。収入面でね。
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大学の教員は、大きく二つに分かれるんです。非常勤と専任。
非常勤講師のギャラは、週1コマ教えて月2万5千円。どの大学もこの値段はだいたい同じですわ。1ヶ月って、場合によっては5週ありますやん。それで、5回講義をすると、1回あたり5千円でっせ。1時間半喋って。
一方の専任教員。週4コマ受け持ったら、普通に生活できる収入を得られるんです。非常勤やと、仮に25万円を稼ごうと思ったら、週10コマ。しかも、社会保障は何もない。
講義で喋っている時間だけで考えたら、いいバイトやと思う人がいるかも知れん。でも、何にも用意しないで、講義できるわけないやないですか。下準備が大変ですねん。講義1回分の準備に、3日はかかりますわ。10コマ分の予習なんか、とても無理。時間もないし、そんなことしてたら生活できへん。
僕も、日本を愛する身として、この国で生活することをきちんと考えなあかん。障壁は多いけど、何とか専任教員になりたい。
僕の戦いが始まりました。
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厳しい教員試験を突破するためには、なんとしても博士号をとらなあかん。去年の年末から今年の3月にかけて、僕は勝負をかけたんです。それまでのんびり書いていた博士論文のピッチを上げ、その期間内で一気に仕上げることにしたんですわ。
論文に集中するため、外に出かけるのは最小限に控えました。働かないとお金が入ってこなくなるのは当然。非常勤講師としての収入が、2万5千円。毎月の家賃は10万円。貯金は30万円。
学位が取れたら、経済学博士になるというのに、この収入と支出のアンバランス。経済の基本が何一つわかっていないように見えるでしょ。周りに笑われっぱなしですわ。
でもまあ、やれば何とかなるもんですね。お金の面で人に頼ることなく、無事に論文を提出できました。
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論文を書きながら、就職活動も同時進行。最近ではインターネットでも大学教員の公募情報が流れてましてね。コネなんか持ってない僕は、公募に頼るしかない。
そんなわけで、自分が教えることのできる科目を募集しているところには、片っ端から応募したんです。本当は京都から離れたくないねんけど、採用される側が選んでる時代やない。日本全国、書類を送らんかったところは無いですわ。
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もちろん、そのほとんどが不合格。ことごとく、応募用紙を返却されましたわ。でも、たった一つだけ、面接に来てくれって言うてくれた大学があったんです。
ところかまわず応募したんはいいんやけど、日本の地理にまるで弱い僕は、その大学がどこにあるか全然わかってへん。早速、日本地図をめくってみました。
……ビックリ仰天しましたわ。
本州の最西端。昔は幕末の志士たちを、ぎょうさん送り出した。経済面では、昔ほどの元気はなくなってしまったけれど、自然はまだたくさん残っていて、夏の夜には蛍も飛び交う素晴らしい土地。
そんな山口県に、僕は一人旅立ちました。
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大学側は、関西で身につけた元気を分けて欲しいって言うてくれました。面接は無事終わり、めでたく専任教員として採用されました。
教えるのは、経済学、国際経済論などなど。経済発展の糸口を教えてもらおうと、スリランカからやってきた僕が、日本の次世代に経済を教えるって、おかしな話ですよね。
今まで、経済の発展度は、GNPの多い少ないで判断されたやないですか。でもGNPの多さは必ずしも人間を豊かにせえへんって言うノーベル賞受賞学者もいましてね 。GNPでは測れない豊かさを教えることが、教員としての当面の目標ですわ。「貧しい日本・豊かなアジア」って話をすることが、僕に期待されていることやないかな。
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しかし!! その日を境に犠牲にしないといけないことも多いんです。
3月31日まで良くて、4月1日からあかんこと。それは、女子学生に気軽に声をかけて、ご飯を食べに行ったり、酒を呑みに行ったり、口説いたりってことですわ。いくら柔軟な僕と言えども、一日違いでこれは辛い。
これだけやないですよ。職場のある山口市は人口が14万ぐらい。県庁所在地のわりには小さい町。この街で何をするにしても、ばったり学生と出会ってしまう可能性が高いんです。レンタルビデオ店に行ってHなビデオを借りんのも、後ろに学生が並んでいたときのことを考えたら、とても出来ませんわ。
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それはともかく、素晴らしい自然が残る山口での生活を、思いっきり楽しもうと思てます。
ただ、大好きな京都とのつながりはこれからも続きますよ。何一つ変わらないです。だって新幹線に乗ったら2時間半で帰って来れるし、もともと休みの多い仕事ですから(ここだけの話、蛍がたくさんいても、ネオンがないのは寂しいからね)。
【注】
インド人経済学者のアマルティア・セン。1998年、アジア人で初めてノーベル経済学賞を受賞。主著は「自由と経済開発」「貧困と飢餓」など。
「貧しい」とはその人の「自由」が充分でないということ。しかし「お金」はその「自由」のためのひとつの要素にすぎない。お金があっても、自由でない人は「貧しい」。
国内に食糧があっても、それがきちんと分配されなければ、その国の人間が餓死することだって起きる。人々の暮らしの豊かさは、全体を集計したGNP(国民総生産)だけでは測れない。
彼は富の分配とひとりひとりの人間の暮らしを掘り下げて考察し、これまでの「経済成長のための経済学」を批判した。
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