38 牛車と日本の中古車 【にしゃんた こらむ】
保育園のころ、僕は牛車で通園していたんです。家の前まで、牛さんが迎えに来てくれたんですわ。6人乗りで、ふたつの車輪がついた、屋根つきの車をひっぱってね。牛さんと車の間には小さな台がありまして、そこが運転手さんの席。
牛車には、電車にあるみたいな座席もついていたんやけどね。でも僕は、自分のスーツケースを椅子代わりにして、真後ろを眺められる「特等席」をつくってた。進行方向とは逆へ、ゆっくりと流れていく景色を眺めるのが、大好きやったんです。
だけどそのせいで、頻繁にスーツケースを壊してました。特等席を禁止されるのが怖くて、親には「椅子代わりにしとる」とは言えへんかった。
●
だからその当時、道のあちこちに牛さんのウンチが落ちてました。民家の壁や床を塗るのに使っていたくらいなので、臭いことはなかった。独特な匂いではあったけどね。
スリランカでは、道を歩く動物は、牛だけではないです。象だって歩いてる。スリランカでは、象はペットです。餌代がバカ高いから、みんなが飼えるワケではありませんけどね。もちろん、象さんもタダでご飯をもらっていたわけじゃない。よく働くんです。重い荷物を運んだりね。
小学生の僕たちはみんな、登校中に出会う象さんを、毎日数えてました。その数が奇数の日は、何か良いことが起こるって、信じとったんです。
●
そのスリランカに、自動車が大量にやってきました。1970年代のこと。イギリス植民地時代につくられた細い道は、すぐに大渋滞ですわ。自動車はすべて、メイド・イン・ジャパン。当時は信じられへんできごとでした。
だって戦後まもないころは、日本よりスリランカのほうが、車の台数も道路の舗装率も上やったくらいなんです。それに日本のことは、大人気ドラマ「おしん」でしか知らん。どんだけ目を凝らして画面を見ても、そこには自動車なんて影も見えへん。
もしかしたら、JAPANって国がヨーロッパにもうひとつあるんちゃうかって、真剣に議論したぐらいですわ。
スリランカは、それによってずいぶん変わりました。日本から中古車を輸入する商売を始めて、大金持ちになる人が出てきた。安くて性能のいい自動車が増えてくると、スリランカ中に、車欲しい人間が増えてきた。自動車が、「金持ち万歳時代」のシンボルになった。いままで牛車で十分やったのに。
●
この不思議な国 "JAPAN" に、スリランカの若い男たちが、競って出かけて行くようになりました。中古車の買いつけのためです。もちろん、そんな目的では、日本政府はビザを発行してくれへん。だから「留学生」だの、「就学生」だの、短期滞在ビザで行くんですわ。コロンボ大学の元学長先生は、「昔は、日本が奨学金を出してくれるって留学生を募集しても、誰も手を挙げへんかったのになぁ」って不思議がってましたわ。
いまでも、スリランカ人が日本に来ると、ビザの審査は厳しい。中古車販売に関わっとるんちゃうかって、疑われるんですわ。つまり、不法滞在やね。でも、日本ではパンク寸前の粗大ゴミを、国外に運び出してあげているんですよ。逆に表彰されたっていいと思うけどね。
●
日本でも昔は、牛さんや馬さんが乗り物やった。いま自動車の耐用年数は、牛さんの寿命よりも短い。まだ充分使える車も、虚栄心が優先されてか、どんどん買い換えられる。日本の運輸省は、35万人分の雇用とも言われる自動車工場を保護するために、現実離れした車両検査制度を強要して、使える車でも買い換えさせる。
新車が出るたびに、ゴージャスなコマーシャルが流れる。環境問題がクローズアップされて、エコカーがどんどん登場してても、廃車処理をウリにしている車は、未だに見たこと無い。消費者も、廃車のために自分の車を解体工場まで運んで、多額の処理手数料を払ったりはしません。そんな発想、ハナから無いでしょ。
路上に放置される車は、増える一方。それを、自治体は持て余してる。所有権のある有価物なのか、生産者に責任のある産業廃棄物なのか、消費者の出す一般廃棄物なのか、判断できへんらしい。「廃車」に関する議論が充分にされていない証拠ですわ。なんぼエコカーを開発しても、それではあきまへんで。
放置車のあとかたづけをするんは、自動車解体業者。キツイ仕事なんで、日本人は嫌がる。韓国、中国、香港、フィリピン、タイ、マレーシア、バングラデシュ、ネパール、インド、パキスタン、イラン、シリア、レバノン、カメルーン、ナイジェリア、メキシコ、ジャマイカ、そしてスリランカ。いろんな国から出稼ぎにやってくるんです。外国人の職場になっとるんですわ。
日本は失業率が高いって言うけど、それは選り好みしてるからですよ。「理想が高い」ってやつやね。
●
僕の感覚では、スリランカ人に資本主義と経済のグローバル化を教えてくれたのは、日本の中古車ですわ。僕にとっては、必ずしも嬉しいことではない。のんびりと流れていた時間が、いつしかせわしくなってしまった。
実家に帰ったら、洗濯機が2台に、日本の中古車が2台。MDまである。唯一の救いは、どれも大事に大事にされていることですわ。日本では20年前に廃車になっていそうな車を、うちの親父は毎週のように修理して乗り回してる。
可哀想な親父。いちばんの犠牲者はうちの親父に思えてなりません。僕は何ひとつ送ってあげれないのに、ご近所に面目が立たないのか、「息子が送ってきた」って自力で日本製のポンコツを買いあさってるんです。
●
僕は日本に来たとき、この国が本当に豊かに見えた。スリランカ人が夢見ていたものが、すべて揃っていたからね。でも歳をとったんか、いまの僕には、牛車が道を通っていた時代のスリランカの方が、豊かに思えてならへん。時間がゆっくりと流れた時代。「廃車」なんて、そもそも考えんでよかった時代。息子の身体が健康ならばそれで幸せだった、あの時代。
豊かさの意味を考えさせられている、今日このごろ。そんな僕には、相変わらず自動車を送ってあげる目処がつきません。免許証すら取れてないんです。
コメントする