57 博士になった日 【にしゃんた こらむ】
先斗町にある馴染みのお店で、アルコール63度のバーボンを傾けながら、ボーっと鴨川を眺める。感無量の僕は、お世話になった人たちに、片っ端から電話をしました。17年分。一晩ではとても無理。
ロレツのまわっていないオッサンから深夜に電話をかけられた人たち、さぞ迷惑だったに違いない。気がつくと携帯の電池は切れてもうて、酔いもピークに達してました。
「マスター、すいません。明日、朝七時に起こしてください……」
「了解」
ここでは、いつものこと。
何を隠そう、僕は翌日、博士になるんです。
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「にしゃんたくん、おはよう! ちゃんと起きーやー」
マスターの矢藤さんの声ですわ。むっちゃありがたい。ほんとは、可愛い彼女の声で起きたいけどね……(泣)。
朝イチに約束がひとつ。「京都竜馬会」会長の赤尾さんに会うことでした。千鳥足で、一時間ぐらいの道のりを歩きました。心配した赤尾さんが、途中まで迎えに来てくれてはった。こうやって、みんなに心配をかけて生きてきたんやなぁ。しみじみと悟りましたわ。
部屋に入って、早速着替えが始まった。そうです。僕は博士号授与式に、大好きな坂本竜馬の紛争で出席するんです。
「お前腹出たなー」「そうですねぇ」
……そんなやり取りもありましたけど、襦袢を着て、着物に袖を通す。羽織を着て、袴をはく。両胸には、「違枡桔梗紋」(ちがいますききょうもん)。背筋がピーンと伸びますわ。風呂敷に荷物をまとめて、朝食をゴチソウになって、「いってらっしゃい!」と赤尾ファミリーに見送られた。
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論文を提出して、一年。やっと授与式までたどり着きました。僕はマニュアルどおりに進む日本の式は苦手なんです。でも今回は、支えてくれた人たちに、晴れ姿をお見せするためにも、ぜひ出席したかったんです。
……そうは言っても、サービス精神の塊である僕が、黙って式次第に従うわけには行かへんですわ。会場に来てくださったみなさんに、爆笑して欲しい。
以前、学部の卒業式に総代としてステージに上ったときは、バク転をして笑いをとったんですけど、足を悪くしたいまはちょっと無理。そこで、今回は小道具を使うことに。
直角に曲がりながらステージ上を歩く。学長から博士号の証書を頂く。その瞬間、
「学長、ちょっと一緒に写真撮りませんか?」小声で尋ねたんです。
答えは、「ええよ」。きっと学長も、マニュアル通りの式に、少々うんざりしてたみたい。その瞬間、僕は手を伸ばして、ふたりが入るように隠し持っていたデジカメをパチリ。会場はドカーン!!
……僕の使命は果たせました。
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もらった証書には「にしゃんた博士」って書いてありました。でも、元々ここには、「スリランカ(改行)にしゃんた博士」って書いてあるはずやったんです。
FAXで元々の文面を見せてもらった僕は、「国籍が何か関係あるんかいな」と、素朴な疑問を感じました。早速、事務局に電話。「できたら、僕のことを国家で表現されたくないんですけど……」
事務局は大騒ぎやったそうです。文部省の規定から、長い大学の歴史まで、全部ひっくりかえして調べたらしい。おかげさまで僕の証書から、スリランカという言葉は削られました。小さいことかもしれませんが、新しい価値観を提案できて、よかったと思ってます。
その話を赤尾さんに言うと、「ようやった。スリランカの代わりに京都って入れてもらったら、なお良かった」「ほんまや!そうすりゃよかった!」ちょっとした後悔です。
たった7万円でやって来た僕を、暖かく育ててくれたんが、京都ですからね。
まあ、スペースが空いてるから、今度自分で書こうっと(笑)。
でも、賞状を読み上げた学長が、写真を撮り終わったあとに一言。
「スリランカの親御さんに送ってあげなさい」
きっと、僕を生んでくれたスリランカを大事にしなさいってことやと思いました。
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式には僕の日本の親、青木さんのお父さんとお母さんも来てくれはりました。すごく若かったお母さんも、何だか落ち着いた年齢になって、お父さんは相変わらず口数少なめ。
「これで、僕のできる仕事が、ひとつ終わりましたわ」
お父さんが言う。その裏には「にしゃんたの出発点は、俺が知っている」っていう言葉があるような気がしました。
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ツレに「ばかせ」から「ぱかせ」やらのあだ名で呼ばれていた僕。やっとマルもテンも取れて、「博士」になれます。みなさん本当にどうもありがとうございました。でも、間違っても「博士」なんて呼ばないで下さいね。いままでと同じように「おーい、にしゃんた!」がいいです。
だって、この博士号は、ぼくのことを支えてくださったみなさんと、一緒に取ったものですから。
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