69 元祖アメリカ村に行ってきました。 【にしゃんた こらむ】
僕が尊敬している大学の先生、田中宏さん。「在日外国人」の研究に関する第一人者です。大学を卒業して教員になってから、ご無沙汰していた先生に、たまたま行った和歌山で出会いまして。
「先生どこに行かはるんですか?」
「アメリカ村だ」
「……は?」
アメリカ村いうたら、大阪ミナミの若者が集まる街やん。硬派やった田中先生も、しばらく会わへんうちに、えらいナンパにならはったんや……。
「それじゃ。にしゃんた君」振り返ることなく、無愛想にその場を去るところはだけは変わってへん。それでも、なんか気持ち悪いので、僕の予定は急遽変更。田中先生を追っかけることにしたんです。
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「どうした?」
「一緒に行こうと思って」
「あ、そう」
「先生、切符は心斎橋まで買いましょか?」
「いや、次の次の駅の『御坊』まで」
「……」
電車を降りて、バス停で一時間も待たされました。田んぼのなかに日本家屋が点在する、純和風な風景を走る。しばらくすると、左手に海が広がりました。そんな美しい風景に見とれていたんですが、そのうちだんだん違和感がでてきたんです。
よく目を凝らすと、純和風の風景のなかに、日本家屋ではなく、なんともお洒落なアメリカンハウスが建ち並んでいるではありませんか。これが違和感の原因。バスは、「アメリカ村」と書かれたバス停に止まりました。
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「どこや? ここ?」
とりたてて特別なことは何もない、寂れた港町。地元の方に案内されて、向かった先は近くの龍王神社ですわ。神社においてある寄付の棟札の奉納額は、単位が「弗」なんです。要するにドルです。なぜ?
太平洋から四国が見渡せる、日の岬っていわれる小高い場所に、ひとつの建物がありました。入り口には「アメリカ資料館」の文字が。なかへ入ると、大きなムースの角が出迎えてくれる。20畳程度の小さな部屋がひとつ。正確に言うと、アメリカではなくて、カナダのバンクーバー資料館。所狭しと写真や資料が並んでます。
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明治時代の半ばごろ。ここ和歌山県の三尾村(現美浜町)の漁師たちは、細々と小型舟での漁を続けていました。切り立った岩に囲まれ、厳しい漁を強いられて、村の人々は食うにも困るような生活を強いられていたそうです。
明治21年、三尾村の工野儀兵衛さんって人が、横浜からバンクーバーへ渡って、フレーザー河に向かった。そこは、鮭の宝庫。「魚が面白いほど獲れる」と地元三尾へ手紙で書いて送ったところ、三尾村の漁師やその家族たちが、バンクーバーへ次々と移住することになったんです。
手先が起用で勤勉な三尾村の漁師たちは、バンクーバーの港でも重宝がられました。当時の日本からの出稼ぎ移民は、製材、伐木、鉄道、鉱山、農業のような仕事にも従事しまして、工野さんがカナダに渡って10年足らずで、移民は3000人に達しました。現在、三尾村に所縁のある日系人は、ブリティッシュ・コロンビア州に約2300人、トロントに約2700人が暮らしているそうです。
こうしたカナダ移住者から、三尾村の肉親への送金が、村の経済を潤しました。何しろ、日雇いの労賃は、日本の約4倍。現金と共に、カナダ文化ももたらされまして、バンクーバーの洋館に倣った家屋が次々と建てられました。
テーブルでパンとバターに、コーヒーを沸かして、レコードを聴いて。外出時にはコートと帽子を着て、ベッドで眠るというものやった。時代は大正~昭和初期ですから、かまどで米を炊き、ちゃぶ台で食事をするのが一般的やった時代ですわ。
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資料館には、いまでも着たいと思うような、お洒落なコートが無造作に展示されてます。洋館の多くは第二次大戦で焼けましたが、「アメリカ村」のバス停あたりに、その一部が残っています。
アメリカ資料館に残された写真には、クジラの解体作業やら、ブリティッシュ・コロンビア大学周辺の伐採作業、鉄道の敷設作業や果樹園での農作業に従事する移民の姿が、現地のカナダ人労働者と共に写っています。みんな笑顔やけど、仕事は過酷やったろうなと思いますわ。過酷な自然環境の元で漁を営んできた三尾村の村人やったからこそ、耐えられたかもしれへん。
彼らにとってもっとも辛いできごとは、第二次世界大戦でした。反日感情が高まり、「敵性外国人」とみなされたんです。1942年には、バンクーバーの漁港から100マイルの奥地へ「強制移動命令」が発令されました。ヘスティング臨時強制収容所には3886人もの日系人が収容されています。収容所に入りきらない家族が、屋外でテント生活を強いられている写真も、残されていました。
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一通の手紙が、僕の目を引きました。日系人への補償証書です。英語の原本に日本語の訳文つきで、文章の下には当時のカナダ総理大臣のサインが。1988年、カナダ政府は個々人に対して、戦争中の民族差別行為に謝罪し、ひとりあたり$21000の補償金を支払ったんですわ。
富を求めて、人間は海を渡ったり国境を渡ったり。どの時代も一緒です。豊かになった日本には、いま多くの出稼ぎ外国人がやってくるようになりました。当時の三尾村の人たちにとっては、信じられへんことでしょうね。
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