75 2004年猿新の年日記 【にしゃんた こらむ】
みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
年が明けてから、クリスマスやお正月をどんなふうに過ごしたか、それに今年の抱負などについて、学生たちと語りあいました。日本のお正月を初めて経験したアメリカ人学生は、「日本のお正月はアメリカのクリスマスに近い」って言いまして。家族、親戚が一緒になって過ごすという点が同じらしい。
中国出身の女子学生は、「私の故郷では、12月22日にみんなで餃子を食べるんです」って教えてくれた。「え? 毎日食べているんとちゃうん?」(すごい偏見。スミマセン!)って聞くと、「まさか。この日は特別ですよ」
彼女は寒い地方の出身で、故郷には「12月22日に餃子を食べなければ、寒くて耳が凍り落ちる」っていう言い伝えがあるんですって。「ああ、それで餃子って耳の形しているんだ」って聞くと、今度は答えてくれませんでした。
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スリランカのお正月は、4月13日あたりですわ。その日は米の粉と砂糖をふんだんに使ったお菓子が、テーブルに並びます。庭でとれたバナナも並ぶ。今年一年が良い年でありますようにっていう、オマジナイがありましてね。占いで決まった時間になると、釜戸に火をつける。家で飼っている牛さんからとった牛乳を素焼きの鍋で沸騰させ、溢れさせるんです。そして、絞りたてのココナツミルクで炊いたご飯「ミルク・ライス」をみんなで食べる。
お年玉はないんですが、そのかわり、子供は親に貰った新しい服に身を纏う。みんな、年上の人に跪いて手を合わせ、一年お世話になったことを感謝し、新たな一年もお世話になりますって挨拶するんです。
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僕の日本でのお正月は、毎年、坂本のお母さんとか、恩師とか先輩の家に遊びに行ってました。でも今年は、たくさんの人が僕の家に遊びに来ることになったんです。鍋パーティーを7回もやりましたわ。社会人になること、後輩ができていくことって、こういうことなんやろうなって思いました。
たくさん集まってくれると、みんなを接待する喜びも味わえます。子供や孫がお正月に遊びにこないとすねはるお母さんの心が、少しわかったような気がしました。
とにかく、たくさんの人が家に集まるので、まずはお正月の飾りつけ。近くのホームセンターに走りました。そうはいっても、何を買ってどう飾ればええのか、さっぱりわからへん。若い店員さんに聞いても、質問の度に店の奥の方に走って上司に確認する始末。
こりゃラチがあかん。そこで僕は、店に買い物に来てはった通りがかりのおばあちゃんをつかまえることにしました。もちろん、普通やったら考えられへん迷惑な話。でもまぁ、それが見た目外国人っぽい僕の特権ということで、許してください。
おばあちゃんも嫌がるどころか「まあ、あなた、いまどきの日本の若い子もせーへんのに……」って喜んでくれて、一緒に選んでくれたんです。「しめ縄」に「門松」。「鏡餅」に「めがね飾り」も買いました。
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食べ物もつくらんとね。おせち料理とお雑煮にチャレンジすることにしました。やればできるって僕と、できっこないと言う連れの小野君、ふたりして錦市場に繰り出しました。メニューは、「昆布巻き」「白味噌仕立てのお雑煮」「栗きんとん」「ごまめ」「かきなます」です。白味噌のお雑煮をつくれたら、立派な京都人やって言いますよね。
親切な乾物屋さんが、昆布でだしをとるところから、細かくつくり方を伝授してくださった。けれども、「サッと」やら「パッと」やら「フワーッと」やらの単語が飛び込んできて、僕にはお手上げです。「すみません。パッとは何分ですか?サッとは何分ですか?」「サッとは2分から4分ぐらいやなぁ」などなど、一生懸命教えてくれた。これも、見た目外国人の僕の特権ですね。
しかし、あまりに詳しく聞きすぎたせいで、残念ながら時間切れ。他の料理は、教えてもらうどころか、材料まで自己判断で買うことに。家に帰る途中も、教えてもらった料理法を頭のなかで繰り返します。ところが、きれいな女性が目に入る度に、教えてもらった内容がひとつずつ消えていく。家の玄関につくころには、両手に材料をたくさんぶら下げ、頭のなかはきれいさっぱりの僕がいた。
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勝手な想像でつくった栗きんとんは、栗とニンジンとサツマイモの煮物になってました。ごまめは、五色豆の煮物。丁寧に聞いたつもりのお雑煮も……悲惨そのもの。小野君が正解でした。そんなカンタンに、日本の伝統が習得できるはずがない。
結局、やさしい連れがお正月料理をそろえてくれました。ひとつひとつ「この食べ物には、こういう意味が込められているんや」って勉強しながら味わった。意識して食べると、食べ物からパワーいただいている実感がわきます。
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日本のお正月のしきたり、これから少しずつ覚えていくことにします。今年覚えたのは、「お正月に掃除をしてはいけない」ってこと。せっかくお迎えしているお正月の神様まで、箒ではきだしてしまわないようにって意味らしいですわ。
でも、ほんとは別の意味があるんじゃないかなって僕には思えた。おせち料理をつくったり、家のことでとても忙しいお母さんを、少しぐらいは休ませてあげなっていう、家族の思いやりのあらわれちゃうかなと思ったんです。真偽のほどはわかりませんが、しきたりに込められた思いも、少しずつ学んでいきたいです。
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