つよく、優しく、しなやかに、美しく ・・・「民 際」 と 「共 生・共笑(ともえ)」 な 眼 で 世 界 の 中 の 日 本 に 思 い を は せ て ・・・

89 かんざしと女性 【にしゃんた こらむ】

それにしても「コイツや!」っていう女性と巡り合わない。中途半端な気持ちでお付き合いすることは、この年になると良くないと思う。そんな僕の悩みをよそに、まわりの連れは幸せそう。先日も「ジンゼン式の結婚式の司会してくれー」っていきなり連れに言われました。

「僕は神主の資格、持ってへんで」
「それは神前! 俺言うてんのは人前。最近人気やねん」
「へぇ? そんなんあるんや。紛らわしいな~。わかりました。かむかもしれんけど、僕でよければ、喜んでやらせていただきます」

結婚式の司会はむちゃくちゃ緊張しますね。講演でしゃべるのとはわけが違う。なんっちゅーても、その人の一生に一度のビッグイベントですからね。いちばん気をつけたんが、「新郎」と「新婦」を言い間違えないこと。逆に言うてもうたらシャレにならんからね。連れが「新郎は、男! 一郎の郎って覚えや。新婦は女! 妊婦の婦で覚えたらええねん」というてくれた。ナイスアドバイス。おかげさまで、間違えませんでした。無事に式は終了し、連れにも泣かれながら「ありがとう」言われたときには、思わずもらい泣きしちゃいましたね。

結婚式の司会はできても、自分の結婚式はまだイメージもつかめへん。「おしん」が好きやったり、強い女性が好きやったり、健気な女性が好きやったり、最近やと、飲み物を飲んだあと、コップの縁についた口紅をさり気なく拭いている女性が好きだったりしています。つまり、どんな女性がいいのか、いまだにわからんちゅーことなんですけどね。

女性が横にいてくれたら安定するやろうなと思いますわ。いまの人生に欠けているものが、満たされるんやろうなと思う。

全寮制の男子校で育った僕にとって、女性は神秘的な存在でした。貞操観念の強いスリランカ。そこで生まれた僕が、17歳のときに日本に来るまで、口をきいたことのある女性は、おかんと、お婆ちゃんと、おばちゃんと、親戚のお姉さんと、自分の妹。それ以外は、お店の店員くらいなもんですわ。そんなわけで、男性はしょうもない存在で、女性は神秘的に違いないと思いこむ。そらそうなるわなぁと、いまから考えても納得できますね。

日本に来ても、大学時代は体育会系の生活が長かったこともあり、女性と仲良くなる機会はほとんど無かった。大学院に入ると、少しはそんな機会も増えました。そのとき仲良くなった女性は、ジェンダー論だとか、フェミニズムを唱える女性が多かった。「髪形変えましたね」というだけでも、「セクハラ!」と言われまして。「お前の存在自体がセクハラやねん」って言われたこともあったりして……。まぁいつも腰を低くして、いかにも女性が好きですってな仕草をしてますからね。しょうがないですわ。

神秘的とまではいかなくても、僕にとって女性はまだまだ謎の存在ですわ。リサーチが必要です。女性とは何かを知ることは、経済学者の僕ですが、経済うんぬん以上に、問題意識として大きなウエイトを占めています。このテーマでの研究は、子供のころからスタートして、いまだに続いてるわけです。

辞書をめくってみました。「女」という字は、女性の柔らかな身体つきを示す象形文字で出来ているらしい。一方の男とい言う字は「田を力を入れて耕す」とい意味なんですって。字からして男は力いっぱい働き、女性は優雅に暮らしていけばよいって感じですね。妖怪の 「妖」にも、妨害の 「妨」にも「女」がついているあたり、男性にとって、女性の大きさみたいものを感じさせる。女がつく漢字がどれくらいあるか数えたら(ヒマでスミマセン!)、なんと出てくる出てくる! 姦、嫌、嫉、妬、妨、妄、娚、婬、嫁、奴、妄、姑、妾、姥、娯、婆、媚、嫁、嬌……などなど、拾い出せばきりがない。男がついた漢字は両手両足の指で数えられるくらいなんやけどね。

男女関係の基本中の基本、「好き」か「嫌い」かの感情をあらわす言葉も、「女」がつきます。女性の方が豊かな感受性を持っていたからなのか、それとも好きか嫌いかの決定権が女性にあったからなのか、男は人前で感情をあらわにするべきでは無いと言う文化なんか、その辺の研究は今後の課題です。

そんなこんなで悩みながら、飲みに行った帰りに知り合いのお茶屋さんのところに寄りました。そしたら、舞妓さんらがひと仕事終わって帰ってきはった。いつも座敷で見せるしっかりした顔が、まだまだ若い女の子の顔に戻ります。言葉づかいは、「そうどす」ってな舞妓はん言葉やけど、仕草やら身のこなし方なんか、いまどきの子って感じですわ。

舞子さんを見ると、僕は日本の自然の美を感じてまう。スリランカには無い、四季の美。とくに舞妓さんのかんざしが、日本の四季折々を勉強させてくれる小さな教科書ですね。

春、三月は、「なたね」。蝶が飛んだりもします。四月は、もちろん「さくら」。五月は、「藤」の他に「菖蒲」もある。夏になると、六月は「やなぎ」に撫子の花が咲いて、七月は「うちわ」。八月は、「すすきはなび」「あさがお」。

秋。九月は、「ききょう」に十月は「きく」。十一月は、「もみじ」です。そろそろ冬になってくると、十二月は「まねき」で、一月はめでたく「松・竹・梅」。二月は「うめ」です。

舞妓さんの頭の上に乗り出してかんざしをのぞきこむ僕を見かねて、舞妓さんがかんざしをそっと抜いて、手に渡してくれた。

「かんざしの先っぽ、面白いですね。耳掻きみたいで」
「にしゃんた君、えらい」
「???」
「良く分かりましたね。耳掻きなんです」
「……ほんまっすか?」

日本のかんざしの歴史は、縄文時代までさかのぼるらしい。江戸時代になると、幕府は「かんざしみたいな贅沢品は許さへん!」ってことを言い出した。江戸の市民はタフですね。新製品をつくりましてん。どう見てもかんざしなんですけど、一箇所だけ違っていた。それが、耳掻きの部分です。もちろん実用的に機能していて、その名残がいまのかんざしに残っているんですって。

時代劇がお好きな方なら、よくこんなシーンを見ますよね。女性が頭からかんざしを抜いて、悪い奴を刺し殺す。かんざしって面白いですね。耳掻きの部分で、好きな男には、膝枕なんかで耳掃除してあげる。嫌いな男に対しては、とんがっている方で刺し殺す。かんざしが女性という存在を象徴しているように感じますわ。

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