メッセージ・コラムなど
私を育てて頂いた日本への恩返しのためにも
私が教えて頂き、学ばせて頂いたことから
みなさんと共有したいメッセージがあります。
ごく当たり前で、簡単なことでもありながら、
最も大切なことでもあります。
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私たちは皆、顔や指紋が違うと同じように違い、
自然界含む私たちの周りが
未知と多様性と変化に満ちております。
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そんな違いと新しい出会い
(セレンディピティー)の中で
私たちが日々生き、生かされております。
・・・・・・・・・・今まで見落としていたかもしれない、
これらのセレンディピティーを意識し
一段と大切にすることが必要な時代に
私たちが生きております。
・・・・・・・・・・・・「違い」と聞いて
私たちが、マイナスのことばかりを
連想してはいないか。
「違い」を嫌い、怖がり、軽視し、無視し、
排斥し、すみわけし、差別・区別し、同化し、
争い、敬遠してはいないか。
自分との違いや新しい価値観を
敬遠するようではあまりにもモッタイナイ。
・・・・
それなら
何のために自分との違いや新しい
価値観があるのか。
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「違いは」関わるためにあるのです。
違いは、受け入れ新しい自分をつくるためにあり、
常に新しい自分に「変身」するためにあるのです。
そのことが私たちに強さ、豊かさ、しなやかさ、
順応性、応用力、優しさそして安全・安心を
もたらせてくれるのです。
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これからは、「違い」を知り、敏感に感じとり、
好奇心、真心と敬意をもって
大いに「関わる」ことにはじまり、
違いを大いに楽しみ、違いから大いに学び、
違いの中で大いに成長し、
あらゆる違い(多様性)を力にし、
共に笑う、
「共笑(ともえ)な時代」
なのです。
・・・・・・・・・・・・・・共 学
(共に学び)
共 楽
(共に楽しみ)
共 育
(共に成長し)
共 活
(共に活き、活かされ)
共 笑{ともえ}
(共に笑う)
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このことは
多くの分野の根幹を成し、
「個人」はもちろん「家族」、
「組織」、「地域社会」や「国」などの
あらゆる空間のさらなる進化のための
普遍的な概念でもあります。
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「"共笑(ともえ)"な日本の"新" 時代」
の実現に貢献すること
それが私の使命だと考えております。
私はそのような素敵な社会の実現のための
「媒介者(文化ミディエイター)」で
「メッセンジャー」で
ありたいと
そう切に願っております。
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そのことが多様性の軽視のため
長く続いた戦争で若くして命を落とした
多くの友への
せめてもの弔いになればとも思っており、
違による争いは日本の社会では
起きないことを強く願っております。
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実は、日本人は
違いを力に変える能力に非常に長けており
「共笑」な時代つくりは、正に日本らしさの発揮でもある。
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ほんとうに有難いことに
日々たくさんの方々とのご縁を頂き
そしてたくさんの方々の前で
一生懸命お話をさせて頂くご縁に
恵まれております。
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今後とも講演・落語・テレビ・ラジオ・
活字・社会活動そして日常の交流を通して
皆さんとともに
世界の中の日本をより素敵な国にするために
今後とも真摯に日々努力してまいります。
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引き続き
ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します。
みなさんにお会いできることを
心より楽しみにしております。
にしゃんた 拝
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※ 現在までの 講演活動等から得られる収益の一部をスリランカの津波復興や子供たちの教育のために使わせていただいております。 2011年は、日本赤十字を通して東日本大震災の復興のために使わせて頂きます
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この度の災害で亡くなられた方に対し心より御冥福を申し上げるとともに被災者の方々に対し心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を心より祈願いたします。
この度、日本がたいへん痛ましい経験を強いられました。被災された方がたいへんな生活を送られています。また今でも、大勢の方が自らの命を惜しまず、救命および被害の拡大抑制に取り組んでおられます。私たちにとってまだまだ油断の出来ない緊張した日々が続いております。日本の今回の災害で私個人としても、直接的・間接的にお世話になり関わりのある方が大勢被害にあいました。安否が確認されていない方もおります。たくさんの日本人の方々が被害にあわれている事にほんとうに胸を痛めております。言葉がみつかりません。
3月11日。私は地震のときに、関西にいたのですが地震による揺れを感じ、それからはテレビ画面をずっと見ておりました。現実とは思えない予想をはるかに上回る津波の映像と逃げ損ね波に流される人々の姿が画面に映っていました。テレビを見ながら大きな恐怖を覚えると同時に人間の無力さを教えられたような気がして、自分自身の活力までも奪われたような気持ちを覚えた。
7年前に起きたスマトラ沖地震。祖国スリランカだけでも4万人が命を落としました。その直後にスリランカ津波被災地 を歩きました。そのときの情景が今でも鮮明に覚えており、この度の日本の災害と重なります。私にとってもっとも関係のある2つの国が人々がこんな短期間にこのような災害にあわなければならないということがとても信じたくありません。
2200年ぶりに津波を経験した スリランカ人には、津波の概念すらなかった 。祖国でもたくさんの人々が自分の愛する人、友人や大事な人を大勢失いました。そんな中で、たくさんの日本人に精神的にも金銭的にも支援をして頂きました。そしてなにより励まして頂きました。お蔭様で被害者も前向きに生き、見事に国を再び復興させることができました。その時に日本人に励まされた人も含める多くのスリランカ人から毎日のように日本人を心配した内容の連絡を私のところにもまいります。世界中にいる日本大好きな人と共にスリランカの人々も日本を本当に心配し、出来ることがないか模索しております。災害により亡くなられた日本の方々へのご冥福と被災者の早期復活を祈る行事がスリランカ全国の寺院において行われております。
先日、被災者の1人の友人に元気つけようと電話をしました。すると彼に「大丈夫だよ。東北魂がある」という言われました。私の方が逆に元気付けられたような気がしました。これから必ず蘇り、甦らせるのだという気迫に満ちていました。東北魂を早い復興を信じております。私もこの国の一員としてみなさんと共に被災者と肩を組み今回の被災からの復活させため自分自身に出来る精一杯のことをしていくことを、させていただくことを誓い申し上げます。
にしゃんた 拝
たくさんの方に、誕生日と祝っていただき本当にありがとうございました。
ほんとうに嬉しいです。
41歳になりました。あっという間です。
今年は、厄年本厄ですが、みなさんのおかげさまで順調です。
これからも皆さんのご縁の中で、生き、生かされたい。
たくさんの方にお会いし、志のある活動や楽しいことたくさんに関らせていただきたい。
社会人として、世の中から求められ、役に立つ人間であり続けたい。
そのためにもこれからも日々精進したい。精神的にも肉体的にも若々しくあり続けたい。
仲間とともに、毎日が楽しく充実した日を過ごさせて頂きたい。
母曰く、私が産まれたのは7月の17日だそうです。聖夜って言う意味から「にしゃんた」という名前を付けてくれたそうです。スリランカのキャンディーで生まれたのですが、その当時のスリランカでの登録がそれほど厳密ではなく、誕生日の登録は18日になったそうです。周りの友人にもいつもどっちかにはっきりしなさいと怒こられます。
皆さんにはご迷惑おかけいたして申し訳なく思います。お許しを頂きましたら2日かけてゆっくり誕生日を過ごすのも楽しいものだなとも思ったりも致します。わがままを言うようですが、これからも気になさらすに思い出しましたら、おめでとうって言ってやっていただけたら嬉しいです。
私の周りの誕生日のお祝いは17日と18日だけではありません。19日も入っているのです。長男の「獅朗」は19日に産まれたのです。そしてこんな私も父になった嬉しい日であります。それにしても、獅朗はなんで予定日だった、私の誕生日と同じ日を一日ずらして産まれたのかなと思います。本人に聞いてみたいものです。まだ「パイパイ」や「変身」という言葉しかしゃべれないが、しゃべれるようになったら「同じ日はいやだったからに決まっているでしょう」と言われるのが怖いです。
親やご先祖、そして子孫や皆さんに感謝しながら、年に一回の誕生日を時間が許す限り3日間かけて祝いたいものです。これからもよろしくお願いいたします。
41歳の誕生日 にしゃんた 拝
2009年は、いよいよ今日は最終日となりました。今年もいろんなことがありましが、個人としては学びが実りの多い一年でありました。おかげさまで、楽しく過ごさせていただきました。
本年も、たくさんの方にお世話になりました。講演、テレビやラジオのお仕事や落語を通してはもちろん日ごろの生活の中でもたくさんの素敵な出会いやご縁にめぐり合えました。
たくさんの場所に行かせて頂き、日本の地域ごとの個性や温かみに触れられた一年でした。たくさんの方の仲でお仕事をさせて頂きました。今年も、生かされているだということを実感する一年でありました。
私生活では、今年は、実家から両親を日本に呼んで来ることも出来ました。想像でしかなかった日本の姿や倅が恵まれた人間関係の中で生活をさせて頂いている事を見れて安心している様子でした。みなさんのおかげで親孝行らしきことも出来たかと思います。
本年も、ほんとうにありがとうございました。心より感謝を申し上げます。どうかよいお年をお迎えくださいませ。
にしゃんた 拝
実家の母から朝一の「おめでとう!」の電話で起こされました。スリランカは三時間遅れて進むからよっぽど早く起きたのだと思います。この年齢になって何となく、親の気持ちが解るようになったような気が致します。
たくさんの方に、祝福して頂きました。本当にありがとうございます。
日本の男子平均年齢のちょうど半ばです。1年が経つのがこんなに早いのかと驚くばかりです。今までの間一生懸命に生きてきただろうかと自問自答します。まだまだ利己主義な自分がいると感じています。そのことが自分の生きるべく道を邪魔されていると感じます。
大変な後始末が残っていますが、25間続いたスリランカの武力闘争もしばらく前に一先ず落ち着きました。この戦争でたくさんの学友が命を落としました。私が、スリランカに残ったら間違いなく死んでいたに違いない。何のために生き残り、何のために日本とご縁を頂き、国籍をも頂いたのかだろうか。
正直今でも何のために生きているのか、答えを探します。早くに生きる目的が見つかればどれ程楽なのだろうかと思うこともあります。
友人が言っていたことを思い出します。「死に方が決まれば、生き方が決まると...」日本で骨を埋めるという決意は出来ています。生まれ故郷に帰るのにビザが求められようになり少し不思議さを覚えます。
いつの日かは、この地の土になるでしょう。一先ず、アイバンクも臓器バンクも登録も済みました。定期的に献血もさせていただいており、1日所長のような名誉な機会にも恵まれ、光栄に思っています。
大げさに感じるでしょうが、他に適切な言葉が見つからないのであえて使うと、自分自身の魂の生かし方が見えてきたような気がします。昨日も恒例の「無言参り」を胸の内を唱えながら家と八坂のお旅所を往復しました。
今まで以上に、己を捨てる覚悟で高い志をもち、引き続き皆様ご縁に生かされて、この地でしっかり生きていきたいです。
これからも、暖かいご支援ご鞭撻のほどよろしく御願い致します。
The civil war in Sri Lanka and Japan's role for its solution
● 『共生を求められる日本の国際化の課題』 : スリランカから帰化した者の民際的な視点で
Resent Issues of Japanese Internationalization : From the point of view of a naturalized foreigner
● 『TSUNAMI現場から日本へことづけ』 : 在日の被災地出身者の走り書き記録
A message from the TSUNAMI : A scribbled memoir on Japan's connection to the stricken area
● 海外における日本的労務管理 : スリランカのノリタケ・ランカ社を事例に
Japanese-Style Human Resource Management in Sri Lanka : The Case study of Noritake Lanka (Pvt.) Ltd.
● 経営の国際比較 : スリランカを中心に Comparative Studies of International Management : The Case of Management Culture in Sri Lanka
● Japanese-Style Human Resource Management in Sri Lanka : The Case Study of Usui Lanka (Pvt.) Ltd.
<Arlicles> Employees Consciousness of the JapaneseCompanises in Sri lanka
● Comparative Studies of International Management
--The Case of Management Culture in Sri Lanka
● Liberalization and FDI in a Small Developing Country
● 「真の支援 人材育成急の」 2006年1月17日 『中国新聞』
● 「被災地に温もり伝える」 2006年1月24日 『中国新聞』
● 「心豊かな学問教えたい」 2006年1月31日 『中国新聞』
● 「こころもからだもぽっかぽか」 2006年2月7日 『中国新聞』
● 「挨拶は暮らしの潤滑油」 2006年2月14日 『中国新聞』
● 「学べる幸せかみしめて」 2006年2月21日 『中国新聞』
● 「手に持たぬ美学 和の心」 2006年2月28日 『中国新聞』
● 「会話弾めば心にも栄養」 2006年3月7日 『中国新聞』
● 「国渡り歩く若人を応援」 2006年3月14日 『中国新聞』
● 「異郷学ぶ絶好の教科書」 2006年3月28日 『中国新聞』
● 「平仮名表記で問題提起」 2006年4月4日 『中国新聞』
● 「くせで再認識する己」 2006年4月11日 『中国新聞』
● 「愛情感じ違いを楽しむ」 2006年4月18日 『中国新聞』
● 「心豊かな母国では不要」 2006年4月25日 『中国新聞』
● 「歴史に埋もれた[功績]」 2006年5月2日『中国新聞』
● 「若者よ世界へと羽ばたけ」 2006年5月9日『中国新聞』